EL BULLI時代の終焉
2010年2月13日、驚くべきニュースを聞きました。実はその日私は碌に新聞も読んでおらず、
常連のお客様に聞いたのです。―――あのエル・ブジが閉店する、と。
後でくわしく調べましたら、2012年から2年間休店するとのことでした。理由はフェランが
この10年間1日15時間働きどおしに働いて疲労困憊した、休養を取りたい、とのこと。
インタビューでもしきりに眠りたいと言っていたのが印象に残りました。
しかしふと我に返って考えてみたのです。「待てよ、本当にそんなことかな?」と。
つまり、我々の業界では労働条件の整ったホテルや大手外食企業でもない限り、1日12時間
〜15時間ぐらいの労働はよくあることなのです。現に私でさえいまはランチ営業をして
いないにも関わらず、毎日12時間は働いています。以前の店で、ランチ〜カフェ〜ディナー
とやっているころは15時間くらい普通に働いていました。もちろんフェランのように40人
以上のスタッフを抱えるシェフがそれだけの労働時間であるというのはいささかすごいこと
ではありますが、異常というほどでない―――では何が彼を疲労困憊させたか?
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スペイン料理がブームといわれてもう10年もたつでしょうか。あちこちにスペインレストランが
出現!と言いたいのですが、その実態はスペイン・バルと称する店がそれこそ雨後のタケノコの
ごとく出現したものです。おりしも2002年だったと思います。すでに当時世界の最先端を走っていた
エル・ブジのシェフ、フェラン・アドリアが初来日し、そのアバンギャルドな料理技法を紹介した時、
日本の料理界は一気に沸き立ったものでした。しかしブームとは怖いもので、その奇抜さが騒がれる
ばかりで、料理の奥底にあるスペイン的味覚、感性あるいは文化性といったものにはほとんど目が
向けられることはなかったのです。
そもそもどんな料理でもそれを研究するときには、それがよって立つところ―――伝統や風土
などとの関連―――からスタートしないと正しい理解には及ばないもので、それはフェランの
様なアバンギャルド料理も同じなのですが、そのような部分に踏み込んだのは少数のスペイン
料理研究者だけでした。―――要するにマンネリと手詰まりになった当時の料理界の中で
大部分は単に新しいテクニックがほしかっただけなのでした。
そして興味深いことにフェランの料理のエピゴーネンはスペイン料理界よりもイタリア、
フランス料理界により多く出現したものです。調理理論レベルで伝統的スペイン料理は日本では
まずまともに相手にされなかったそれまでの反動で、この後スペイン料理とはアバンギャルドな
ものと思い込む人まで出現する始末。結局伝統的スペイン料理とアバンギャルド、スペイン料理の
間に深い溝が生じ、これが日本人のスペイン料理に対する理解をより混乱したものにしてしまった、
ともいえるのです。
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結局は「エル・ブジの前にエル・ブジなし、エル・ブジの後にもエル・ブジなし」だったのです。
少なくともスペインではフェラン=エル・ブジの出現で多くのシェフが料理の創造性と可能性に
目覚め、それぞれが自分なりのオリジナリティーを追求するという流れが出来ました。このパワー
が今日はスペイン料理を前進させている力なのだと言えるでしょう。(もちろんこの流れの底には
今なお、営々と伝統スペイン料理を作り食べる、多くのスペイン人たちが存在するということが
大変重要なのですが)。
一方日本では野菜のエスプーマやフルーツ味の人工イクラなど、フェランが10年も前に開発した
テクニックがいまだにお客を驚かせている始末。フェランはこの10年間絶え間なく前進し続けて
来たのにこの国では10年前のアバンギャルドがいまだにアバンギャルドとして通用している、
しかもジャンルを問わずです。結局うわべだけを真似してきたのです。
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フェランが疲労困憊したのはこんな彼を取り巻く状況だったのではないか。―――絶えず新しい
食材、新しいテクニック、新しいプレゼンテーションを作り出すプレッシャー。それらを惜しげ
もなく公開し、さあ皆さんオリジナリティを発揮してくださいというのですが、多くの場合、
凡百のシェフたちは真似するだけ。それを自らの創造性の糧にしようとは思わない、―――
そんな状況も彼を疲労困憊させたのではないか。
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もちろんこれは私が推測することですので、必ずしも正しくないかもしれない。しかしフェランが、
今の自分の料理の在り方を10年余りで区切りをつけたのは正解ではないかと思うのです。アバン
ギャルドは永久にアバンギャルドではあり得ません。時期がくればそのムーブメントは停止して
しまうのです。あらゆる芸術運動がそうであったように。
今後の10年、フェラン/エル・ブジのエピゴーネンは増々現れ続けるでしょう。それはある意味
仕方のないことです。そんなことよりフェランが次の10年にどんなことを仕掛けてくるか、どんな
ムーブメントを起こそうとしているのか、楽しみです。
了