コシナ・アルタの行方 (その2)
現在の日本では、スペイン料理といっても様々なタイプが出現しています。一つ目はスペイン・バル、
居酒屋風の店で出す「タパス」とよばれる比較的簡単な料理。二つ目はパエリャをはじめとする、
昔からの伝統料理。三つ目は伝統料理なのですが、シェフ自身のセンスや現代的なテイストを加えた
料理―――私どもはおおむねここに位置します。そして四つ目はコシナ・アルタ。実はこのコシナ・
アルタが一番問題なのです。この料理が日本で成立するにはいくつかの問題をクリアしなければなり
ません。
その第一番目はコシナ・アルタはスペイン料理か?ということです。スペインでスペイン人料理人が
作るコシナ・アルタは、スペイン料理と呼べなくもありません。なぜなら彼らは自身の料理人としての
アイデンティティをその風土性や文化性に負っているからです。では日本人の作るコシナ・アルタは?
かって、10年ほど前フェランの料理はイタリアで大きく注目されたことがあります。なぜイタリアだった
のか、それは判然としませんが、イタリアからスペインに勉強に行く者が多かったようです。もちろん
その中には日本人の料理人も混じっていたわけで、現在日本でコシナ・アルタをやっている料理人は多く
がイタリア料理出身で、スペインで修行した後帰国というパターンです。
私どもはスペイン好きが高じてスペイン料理に入り込みましたから本質的にスペイン伝統料理からスタート
しているのですが、彼らはそれとは根本的に異なり新しいテクニックが学びたくてスペインに行った
わけです。その新しいテクニックがスペイン伝統料理と関係なければ彼らの料理はスペイン料理では
ないわけです。
では二番目、コシナ・アルタの料理人はどこに足を置いているのか?スペイン料理でない以上その片足は
どこに置いているのか?日本人である以上他の片足は日本に置いているのか?それとも日本にも置いて
いないのか?新しい料理を作るために、インターネットで情報収集するという料理人もいます。
「ネット情報を収集」して料理を考える、という図式は何か大企業の商品開発を思わせますが、ともかく
片足はネットの上に置かれているのか?
また別の足は「創造性」の上に置かれているのか?しかし創造というのは並大抵のことではできません。
フェランのようなとびぬけた才能と多大な努力によってしか実現しないものです。私どものような凡百
の料理人に創造することはほとんどできないのです。アレンジやすでにある技法を磨き上げることなら
出来ます。アレンジは創造ではありません。必要なのは才能ではなく才覚です。肉をベストに焼き上げ
るのは創造ではなく技術です。これなら私どもでもやっていくことはできます。
しかしコシナ・アルタには不断の創造が必要です。これはフェランの言うとおり人まねではだめなのです。
コシナ・アルタは前途多難な道です。毎日のようにオリジナリティをしぼりだすのは大変なことです。
自分がオリジナルだと思ってもだれかがどこかでやっているかもしれない。また、アバンキャルドに
走りすぎるとお客がついてこれない。いっそのこと自分が修行したスペインの店のメニューをやれば、
知らない人にはオリジナルに見えるだろう。マスコミにそう言えば「スペイン三つ星の味を再現!」と
騒がれるだろう。この時点で自分のオリジナリティは殺され、スペインの店のエピゴーネンに成り下がる。
自分の修行の初めのイタリア料理を思い出してみると料理は自分の創造とは関係なくイタリア風になる。
自分が日本人であることを思い起こせば、たちまち料理は日本の風土に落ち着くようになる。
―――で創造性は?下手をすれば創作居酒屋と紙一重だ・・・・・
いいですか、よほどの才人でない限り、料理の創造なんかできないのです。一番大切なのは、料理人自身
が何に足を置いて立っているかです。そのうえで、料理人はどの方向を見つめているのか。そのことを
料理人自身が明確にしないと創造どころか料理を進化させることすら困難です。
日本のコシナ・アルタはまだ始まったばかりです。ここしばらくは其の行方を見つめていきたいと思って
います。