ドン・フェルナンドの酒場にて
また、パエリャの話かとおっしゃるなかれ、スペイン料理が日本に紹介されて50年、まともなスペイン・レストラン
が出来はじめて2〜30年はたつというのにいまだにスペイン料理とくればパエリャ。イコールで結べるぐらいなのは
昔も今も変わりばえしないのです。
まあもっとも10年前と今との違いはタパスをパスタと間違えられなくなり、その上イタリア料理の世界でやたらに
つかわれ、今やイタリア料理の名前と思っている人まで多数という状況でしょうか。
ともかく、かつてバレンシア地方の田舎料理だったパエリャがなぜ、スペイン料理の代表になってしまったのか。
言っておきますがスペイン人でパエリャが自国の代表料理だなんて思っている人は一人もいません。スペインで
まともなパエリャを食べられる店を探すにはかなりの知識を要します。国内ではメジャーではないのに外国では
メジャーであるというのはありがちなことではありますが。
さて、ものの本によればパエリャを世界中に有名にしたのは英国の作家、ウィリアム・サマーセット・モームだと
いうことです。モームのエッセイ"Don Fernando"(1935)がその本だと。さっそく本棚から、以前読んだこの本を取
り出して来ました。私の読んだのは翻訳で『ドン・フェルナンドの酒場で』(増田義郎訳原書房2006年)。この本の
中に「バレンシア風パエリャの味」と題された章があります。でこれを読むとまずスペインにはおいしいものが少ない。
例外的にパエリャがおいしかったと。まあこのくだりがパエリャを世界的に有名にしたといわれているわけです。
しかし良く読んでみるとモームは〈アロス・アラ・バレンシアーナ〉と書いている。そして、アンダルシアではそれを
「パエリャ」と呼ぶとあります。ここに一つ問題があるのは現代のスペイン料理では「アロス〜」と名付けられる料理
は通常パエリャ鍋は使わず、カスエラ(土鍋)をつかいます。パエリャ鍋(パエジェラ)を使う料理のみパエリャと
呼ぶのですが、20世紀初頭ではどうだったのかわかりません。
あるいはモームが混同した可能性もあります。さらにモームは米とともにトウガラシ、チキン、ハマグリ、ムール貝、
手長エビその他がいろいろ入っていると書いています。ここにも二つの問題があります。まず、トウガラシをパエリャ
に入れることはまずないのですが、これは英語の誤訳かも知れません。英語ではピーマンもトウガラシもコショーも
Pepperです。
次に肉類とシーフードを一緒に使うのは現在でも「バレンシア風」と呼ばれることがあるのですが、これは正確には
ミックスパエリャ(Paella Mixta)と言われます。正しいバレンシア風パエリャはチキン、ウサギ、カタツムリに
インゲン豆などの野菜が入るものです。
もともとパエリャというのはスペイン料理の中では比較的新しい料理でこの当時は米料理(アロス)と言ったほうが
とおりが良かったのかもしれません。いずれにせよスペインにはパエリャしか食べるべきものがないと、このモームを
読んだうっかり者はとったかも知れません。
モームの『ドン・フェルナンド』によると彼が初めてスペインに旅したのは23歳の時だとか―――つまり1896年のこと
―――それからスペインに12回出かけている、という記述からわかることは1935年にこの本が出るまで、平均3年に1回
は出かけているわけです。
この時代はスペインにとって政治的にはどん底であり、また嵐の前の静寂の時代だったのではと想像できます。
1898年の米西戦争に敗退したスペインはすべての植民地を失い17世紀いらい長い坂を転げ落ちるように衰退してきた
揚句、国家としての最底辺を味わうことになります。1930年代には様々な政治的混乱からついに内戦に至るのですが、
20年代まだ20世紀初頭、スペインは第一次世界大戦に加わらなかったことも相まって比較的平穏な時代を過ごします。
スペイン国営ホテル(パラドール)が初めて開かれたのは1928年、スペインツーリズムの考えが生まれたのもこのころ
だろうと思われます。モームがスペインを旅したのはまさにこのころです。この当時の宿について書かれたスペイン人
作家のエッセイを以前読んだ事がありますが、不潔なベッド、ひどい食事について書かれてありました。まさにモーム
の体験したそれと同じようなものです。
当時の貧しいスペインではそういうことはよくあったのだろうと思います。当時スペインを旅する人がおいしいものに
ありつくのは大変なことだったのでしょう。
しかし同じ時代にスペインを旅したアーネスト・ヘミングウェイはスペインの豊かな食を大変美味なものとしてとらえて
います。ヘミングウェイの「陽はまたのぼる」には、スペインの豊かな食の世界が描かれています。そして未だに、
アメリカ人観光客はヘミングウェイの本を片手にスペインを訪れるのです。
ヘミングウェイの食の描写は一見モームのそれと大いに矛盾しているように見えます。でもモームの本を注意深く読むと
彼はこうも書いています。『スペインでおいしいものを食べるには行く場所をわきまえろ』と。また、こうも書いています。
メートルやシェフと親しく話せと。これは母国の食事を『英国でおいしいものを食べたいなら、日に3度朝食を食べよ』
と断言した皮肉屋のモームらしい言い回しですが、ヘミングウェイの体験とも考え合わせてみれば、これは要するに、
スペインの風土の中に、深く頭を突っ込みなさい、ということなのです。
外国人が本当にその国の素晴らしい食を見つけるにはその方法しかない、これはスペインに限ったことではないでしょう。
現に今も多くの日本人ツーリストはたった4〜5日で日本より広いスペインを走り回り、揚句にスペインではおいしいもの
に出会えなかったと断定して帰ってきます。
残念ながら、今なおスペインではそんな旅ではおいしいものにはめぐり合えません。同時に、パエリャしか頭に描けない
限りスペイン食の奥深さ、広大さは目に見えてこないのです。私からの提案ですが、もうそろそろ、料理ジャンルと
料理名をイコールで結ぶのはやめようではありませんか。スペイン=パエリャ、イタリア=パスタ、アメリカ=ハンバーガー
などなど・・・。これは大きな食の世界に対し自らの知を閉ざしてしまうようなものです。
さて、モームの『ドン・フェルナンド』のこの章は実は食べ物がうまいとかまずいとか書くのを目的としたものではありま
せん。スペインの食事から歴史を思い、また偶然出会った少年にピカロの伝統を見て、まさに今のスペインにその歴史
が生きていることを発見するというものです。パエリャしかおいしいものがなかったということが書いてある本と、とらえ
るのはモームの本意ではなかったでしょう。