シェフのひとりごと(11)

シェフのひとり言(14)

小言や八つ当たりばかりのこのコーナー、今回は少し趣向を変えて見ましょう。
以前スペイン料理はいにしえのヨーロッパ家庭料理を伝えているものという意味の事を述べた事があります。今回はその裏付けたというほどでもないのですが,古い本から昔のスペイン料理を探ってみたいと思います。その本はかの有名なプロスペル・メリメ作「カルメン」です。なあんだ何をいまさらとお思いの方も多いでしょう。
しかし、考えますとこれは大変な本でして,ごく通俗的には「いわゆるスペイン」のイメージを世界中に植え付けた決定的な本ですし、文学的価値は私どもが言うまでもなく,昔のスペインを知るための宝庫のようです。
そしてもうひとつはこの本がスペインから見て外国人(フランス人)によって書かれたものであるということ。このために私たちにはかえってわかりやすいものとなっているのです。





【カルメンは何を食べていたか? 前編】

メリメのカルメンは1845年に出版されたのですが,実際にメリメが旅行したのは1830年(今から170年前)の事とされています。なお私の読んだのは岩波文庫版の古い翻訳です。
小説の冒頭,メリメとおぼしきフランス人がコルドバの近郊モンティージャあたりを旅行しています。そこで,偶然ドン・ホセと出会い弁当を分け合います。中身はパンとハムだとあります。―このハムとは,もちろんハモンセラーノのことで,モンティージャの友人にもらったとの記述から,もちろんパタ・ネグラでありましょう。パタ・ネグラとは,ハモン・イベリコともよばれるイベリア種の豚(セルド・イベリコ)を特殊な方法で育てそのももで作った生ハムで、世界最高の生ハムと言われています。この一切れの味わいといったら,陳腐な表現ですが,本当に筆舌に尽くしがたいものです。―ひょんなことから,道連れになった「私」とドンホセは,宿でいっしょに夕食をとります。訳文を引用しますと,「唐辛子を利かせて,米と一緒に煮こんだ老鶏の肉が一皿、次が油漬けの唐辛子、最後にガスパッチョ」。
このうち一番目の皿については数ページあとに「ヴァレンシア風の米料理」だったと説明がありますから、アロスコンポージョと呼ばれるものでしょう。時代と場所から考えて,パエリャではないと思われます。二番目の皿は現在バルでも定番となっている,赤ピーマンをオリーブオイルとにんにくでマリネしたもの、最後は有名な生野菜のスープですが,メリメは「唐辛子を入れたサラダのようなもの」と誤った記述をしています。これに付いては訳注がついていてバレリー・ラルボーによる序文では「これは油とにらを入れて冷たくして出すスープだ」とこれまたピンぼけの注が入っているところ,いかにもガスパッチョが知られていなかった昔がしのばれます。
なおこの時に一緒に飲んだモンティージャのぶどう酒が逸品であったとあります。これは「モンティージャ」と地名そのもので呼ばれるシェリー酒と同種のフォーティファイドワインのことでしょう。逸品なのは当然といえます。
さてセビージャでドンホセと再会した作者は、彼の口から,カルメンとのいきさつを聞出します。ここからの話はオペラ等で有名なので,後は食物に関係するシーンだけを取り上げます。営倉から出たホセにカルメンはトリアナのリリャス・パスティアの揚げ物がおいしいと謎かけをします。揚げ物(フリトス)はアンダルシアの名物で小魚に軽く衣をつけて、オリーブオイルで揚げたものに,レモンを絞って,ほおばるのですがこれは南スペインのバルではよく見かける光景です。

後編に続く

引用は岩波文庫「カルメン」杉捷夫訳







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