シェフのひとりごと【29】
"Traductor, Traidor"
とあるスペイン・バルの前を通りかかった時、何気なくその店の黒板を見ますと「海老のアヒージョ(オイルフォンデュ)」とあります。こんな説明もありか、と、店でスタッフに話したところ、「そういえばしばらく前に『オイルフォンデュやってますか』って問い合わせの電話がありましたよね」といいます。思い出しました。スイス料理じゃないので、やってませんと答えたことも。なぜ、うちの店にそんなことを聞いてきたんだろうといぶかしく思ったことも。これで謎が解けたのです。あるお店で「アヒージョ」を「オイルフォンデュ」と解釈していたのです。だからスペイン料理をあまりご存じないお客様はアヒージョとはオイルフォンデュのことだと思ったのでしょう。
もともとアヒージョ(Al ajillo)はその名のとおりにんにく(ajo)を調味の基本にした料理の名称です。対してオイルフォンデュは深鍋で熱したオイルが調味の基本です。アヒージョにはオリーブオイルが不可欠な要素ですが、オイルフォンデュが食材を単に油でディープフライするのに対し、海老のアヒージョは土鍋(カスエラ)で熱したオリーブオイルににんにくの風味を移すことがポイントでこのオイルで海老を煮るのです。
ですから、この二つの料理は根本的に調理の構造が異なるのです。このように異なるものを一緒くたにしてしまうというのはいくら説明のための方便とはいえ、もはやこじつけと言うしかありません。もっとはっきり言ってしまうと命名した料理人の素養を疑ってしまいます。
さて、とはいえ、見たこともない料理をわかりやすく説明するのに、良く似た料理を引き合いに出すというのは良くやる手です。例えば、「サルスエラ」という料理を「スペイン風ブイヤベース」とすればなんとなく内容が想像つくといった具合です。ところがここに大きな落とし穴があります。こういうネーミングに替えてしまいますと、そこにいきなり概念の序列が発生します。つまり例えば「ブイヤベース」というものが、このカテゴリーの中心にあり、「サルスエラ」はその周辺にある従属的な位置づけになってしまうのです。
外国料理を紹介するとき常にこのような関係性が発生します。私どもスペイン料理で言えば、より知られているフランス料理、イタリア料理を軸にすえた説明をすることで、スペイン料理をそれらの料理に従属するものであるかのようにしてしまうのです。このことが、日本でスペイン料理が過小評価されるひとつの遠因かも知れないとは、私の考えすぎでしょうか。
この文章の表題のスペイン語「トラドゥクトール、トライドール」は、イタリア起源の古いことわざで、「翻訳者は裏切り者」という意味です。
私どもが、外国料理を研究するとき、自ら限られた経験と知識の中で、勝手な解釈をしてしまっていないか、もって自戒とすべきです。