[トマス・キッドの飲んだジンの話]
私ごとに渡る話で恐縮なのですが、私は昔からイギリスの帆船小説が好きでよく読みます。
しばらく前にジュリアン・ストックウィンという作家の「ナポレオン艦隊追撃」(原題「Tenacious」
ハヤカワ文庫)という帆船小説を読んでいてちょっとびっくりした部分がありました。
1798年の英国海軍のメノルカ島侵攻を舞台にした部分で主人公のトマス・キッド海尉がメノルカの
ジン(ショリゲルーーージョリゲルと訳されていましたが)を飲んでそのうまさに感嘆するシーンが
あったのです。
歴史資料や小説の舞台の現地調査を綿密に行うストックウィンならではの描写なのですが、それにしても
さすが、と思ったものです。何しろスペイン人でさえ、メノルカで昔からジンが作られていると知って
いる人は少ないのですから。
「ジンっていイギリスかオランダのものでしょう?スペインでジンが出来るの?」と普通の人は反応
します。それはある意味正しくて、実はスペインのバレアレス諸島のひとつメノルカ島は、18世紀
にはイギリス領だったのです。
歴史に詳しい方なら17〜18世紀初頭にかけて起こったスペイン継承戦争の結果ジブラルタルが英国領に
なったことをご存じでしょう。この時、メノルカ島も英国領になったのです。このあとフランスが占領
したり、英国が占領し返したりといろいろあったのですが、結局1802年のアミアンの和約でスペインに
返還されるまで一世紀のうちほぼ70年ほどの間、英国領だったというわけです。
これは文化的な影響を及ぼすには十分すぎる時間で、メノルカ島が他のバレアレスの島々と少し違うと
言われているのは今も残る英国風の建物、英国風の食習慣だといわれています。そしてそのうち最も
よく知られているのがメノルカ・ジンなのです。
ショリゲル(Xoriguer)という名で知られるこのジン、注目すべきは今でも200年前と同じ製法をとっている、
ということです。一般に現代のジンは連続蒸留機で度数が高く雑味の極度に少ない原酒を作り、そこに
杜松の実などを加え、さらに単式蒸留するのですが、ショリゲルのジンは昔ながらの単式蒸留、これは
ジェネバーと呼ばれるオランダ・ジンに近いのですが、ショリゲルの単式蒸留機はスペイン語で「アルキターラ」
と呼ばれる、アラブから伝わったままの昔のスタイルのものです。そして熱源はもちろん薪。
ショリゲルが普通のジンと異なるもう一つの点は原料です。通常ジンの原料は麦やジャガイモなどの穀物
なのですが、ショリゲルはブドウなのです。つまり原料から見ればこれはジンよりもブランデーやグラッパ、
スペインのオルホに近いといえます。このあたりさすがにスペインらしいといえます。
そして肝心の味はと言いますと、ジンってホントはこんなにやさしい味だったんだと驚いてしまうほど
やわらかく芳醇な香りと味わいなのです。お酒の味のわかる方にはほぼ100%好きになっていただける、
ジンのお好きな方には、ほぼ100%驚いていただけると保証します。
このジン、唯一の難点は手に入れにくいこと。神戸でも私の店を含め、3か所ぐらいしか置いていないの
ではないかと思います。メノルカのジンを飲んでヨーロッパの歴史に思いをはせるというのも、ちょっと
おつではないでしょうか。