本当の 豆柴 の歴史を知ってください
豆柴 の本当の歴史を知るのは豆柴を作出した当犬舎です。
豆柴 と言うのはブリーダーにより歴史が少しずつ変わります。
どうしてでしょうか?
「豆柴と言う犬種はいない。」「豆柴は無理矢理作り出した犬種」
「発育不全の柴を無理矢理交配し、近親交配を繰り返し小型にしている」
まあ、ざまざまな事が尾ひれを付け噂されています。
しかし、その様な事を語る人は本当の柴の歴史を知りません。
柴犬の歴史
柴の歴史とはなんでしょうか?
日本古来の固有種で、縄文時代の遺跡や貝塚などから出土した犬の骨格の多くが柴犬の原型であると言われています。
そうですね、ずっと古くから日本人と共に共存してきたのが柴犬です。
しかし、明治維新が起こり、日本は開国しました。
開国によって様々な外国の文化や、物、考えなどが入って来ました。
そして外国から多くの洋犬が日本にも入って来ました。
そこで起こったことが、日本犬の雑種化です。
日本犬は昔から外で飼育されていましたから、雑種化が進むのも早く、
そのまま放置してしれば、日本古来の固有種が絶滅してしまうおそれがありました。
そして多くの日本犬が戦中の辛き目に合いました。
そういう歴史から純粋な日本犬は都市部では壊滅状態で、
昭和初期に「日本犬を保存して行こう!」と多くの人が立ち上がりました。
それが、日本犬の保存の始まりとなります。
雑種化の被害を受けていない交通の便も悪い山間部の純粋な柴犬たちを探し出し、山出しを行いました。
しかし、この際、保存に漏れた多くの古来種も居たんですね。
元々の数が少なく、保存途中に子孫が残らず多くの種が絶滅しました。
柴犬というのはその中でも一番数が多く、風貌も多種多様でした。
先の話にも出ました縄文時代から居た犬の骨格に近いと言われる縄文柴。
今の様に交通も発達していない時代の柴犬は、地域によって守られ、美濃の美濃柴、山陰の石州犬や因幡犬、信州地方では、保科犬、川上犬、戸隠犬などが存在し、信州地方の柴は総称として、信州柴と呼ばれ、それぞれ地域により細分化されていました。
そして現在、日本人がイメージする柴犬は、昭和初期の保存運動の中で、山陰系の柴犬を交配して作られたもの信州に持ち込み、それを祖先とするものがほとんどです。
当時はDNAも解明されておらず、一括りに柴とされましたが、田名部博士は遺伝子レベルでいうと、山陰柴と信州柴は別種であるとされています。その他にも多くいた各地方の地柴も遺伝子レベルでは別種だという事です。
現在の日本の柴犬の多くは、保存の過程で均一化されてきました。
その反面、縄文柴は、縄文時代の遺跡から見つかった当時の犬たちの頭骨を元に保存されてきています。
豆柴の歴史
では、豆柴は一体どういう歴史があるのでしょうか?
先に話したように、柴にはいろいろはタイプが存在しました。
昔は現在の様にブリーダーなど居ません。
誰が保存してきたかというと、多くは猟師(マタギ)であったと言われています。
狩りの為に犬が必要であったためです。
その中で、狸やキツネ、ウサギ、鳥類など、小型の動物を狩る為に存在したのが、「小柴」「尺柴」と言われる柴犬の中でも小型に属する犬達でした。
この小型種を繁殖していた多くは兼業農家です。
猟師などと違い大きな獲物は必要ないが、小動物を狩るには必要があったという事です。
猟師や兼業農家さんたちが自分の狩りの友とし、保存していたのが柴の中でも小型の小柴なのです。
猟師たちの中での売買もあり、その血筋は長年保存されていました。
現在の柴は、日本犬保存会の基準で、展覧会等で優劣が付けられ、良とした種が残って来ていますが、猟師の使う小柴はそういう物とはあまりかかわりなく、猟の為に残してきたとういうのが実情です。
だからと言って、柴と何の交わりも無いかと言えばそうでは無く、大昔には柴犬から小型化されたことは想像出来ます。
小柴と言うネーミングは戦前から多くの人がご存知で、柴よりも小さい個体を小柴と認知されていました。
保存の過程で、「標準化された柴犬」以外の規格から外れる柴犬達はどういった経緯をたどるのでしょうか?
日本犬の繁殖管理及び飼育に関する指導の中で、規格外なので、繁殖等には利用しないというのが一般化されました。
これでいいのでしょうか?
人が作った基準からはみ出す犬は沙汰される運命です。
保存の過程で、平均化された柴犬だけが残り、古来から続く、縄文柴のような種もスタンダードからは大きく外れました。
そこで違う保存会が発足し、縄文柴を保存しようという動きとなり、縄文柴は現在も守られています。美濃柴もそうです。
小柴もスタンダードよりも小さく、段々とその血が途絶えてきました。
そこで小柴を保存してきたのが、京都の犬舎であります。
京都の犬舎のほかにも、古来からの猟師の方々にも種は受け継がれていました。
しかし、近代化の波とともに、狩猟者自体が減ってゆき、小柴の種も自然と減ってゆきました。
どんどんと減ってゆく小柴の種をこのまま沙汰して良いわけがありません。
そこで、当犬舎が、京都の犬舎とともに小柴の保存に尽力してきたのです。
先人が歩いた道と同じように日本全国に存在する残り少ない小柴の種を探し求めました。
柴犬の保存の際、犬質の良い柴犬でも代々小さな系統は日本犬保存会の基準からは漏れ、そういった小さな柴の系統が細々と絶滅危機に瀕しながらも残っているぎりぎりのタイムリミットでした。
「この子の子孫が残ってゆくのならば」とお譲り頂いた小柴や、
「この血は門外不出」とあっさり断られたこともありますが、
小さな柴の出る血統を日本全国捜し歩きました。
日本犬保存会の全国の展覧会にも足を運び、小柴の出る系統を探し求めました。
そうして始まったのが小柴の保存であり、豆柴の始まりであると言えます。
ただ、悲しいかな、本来「小柴」という名称で日本全国認知されていましたが、「まめしば」という、もっと親しみやすい名前で可愛がってもらいたいという思いで広めた言葉が、反感を呼び、誹謗中傷のネタとして現在も残っています。
また、柴犬保存会では、昭和59年に
大昔、一尺以下の小さな柴もおり、柴保の純化作出の結果、尾が少し短く差し尾ぎみの小さい犬ができ始めた結果、普通の柴犬の矮化の結果ではなく、元々いたものが分離してできたもの、という考えによって、今まで小さく生まれてきた子犬を普通の大きさにしようという努力をやめ、小柴として扱うことにした。(柴犬保存会・柴犬研究第67号)
このように柴犬保存会では遅れながらも小さな柴を展覧会のために大きくすることは間違いだと認め、「小柴」の部を設け、小さな柴をそのままに保存してゆくことを決めています。
大きな団体が、小さな団体を目の敵にし、日本犬の多様性や、日本犬の多角科的な見方を否定し、有形無形に潰しにかかってくるのは如何なものかと思います。
豆柴は小柴であり、小柴は柴である。
まぎれもない事実なんですけどね。
しかし、やはり種を保存してゆく立場として、
美濃柴は柴であるが一般の柴とは違う。
縄文柴は柴であるが一般の柴とは違う。
山陰柴は柴であるが一般の柴とは違う。
ここに
豆柴は柴であるが一般の柴とは違う。
と言わざるえません。
60年前(昭和25年頃)には明確に小柴(豆柴)を別系統とし、保存育成してきました。
1982年、日本犬豆柴育成普及会発刊小冊子
日本犬の歴史
日本犬は今から8千年から1万年前の縄文時代からいたとされています。
ところが明治に入り、文明開化とともに洋犬の流行により従来の日本犬は排斥あるいは雑種化され、さらに太平洋戦争でほとんど壊滅的な打撃を受け絶滅寸前に追い込まれました。
また滅んでしまった犬種もいます。主なものは山形県の高安犬、静岡県の天城犬、北陸地方の越の犬、和歌山県の太地犬などです。
その反面土佐犬、秋田犬のように洋犬の血を入れて新しく作られた日本犬もあります。
昭和3年に日本犬の保存に立ち上がった人たちが日本犬保存会を作り、その保存に動き出したのです。
そして現在は大型、中型、小型に分けられています。
昭和6年には秋田犬、9年に甲斐犬、紀州犬、越の犬、そして11年には柴犬12年には土佐犬、北海道犬が天然記念物に指定され、秋田犬、柴犬は外国でも人気犬種になっています。
柴犬の歴史
日本犬のうちで一番小さい犬で柴のような毛色から柴犬といわれ、また地方によっては芝犬ともいわれています。
昭和初期には、柴犬の生きた見本という犬はなく、各地の山間部から純粋な日本犬と思われる犬を集め大型、中型、小型の標準を定め、その保存と育成に努めてきたのです。
柴犬(小型)は山出しの優秀な石(淡赤)、雲(黒ごま)、コロ(黒)などが今日の正当な源流となり作り出されてきました。
しかし、太平洋戦争で再び絶滅寸前に追い込まれますが、熱意ある愛犬家たちの努力によって今日の隆盛を見るに至っております。
今日本で一番人気があり、外国でもジャパニーズドッグシバは大変人気があります。
豆柴犬とは
昭和9年に日本犬標準が定められ、日本犬を大型、中型、小型に分類されました。
柴犬は小型とされ、サイズ、毛色、形姿などが定められました。
体高は雄が39.5±1.5cmとさだめられましたが、当然それを上回るもの又下回る柴犬が現存したのです。
しかし展覧会にも出せないサイズの犬は多くの人が振り返らなくなりました。
しかし極少数の人が戦後まもなくこの極小の柴犬の血種をもとめその保存に努力してきました。
性格、毛色、形姿等全てしばいぬです。ただ体高が小さいだけ、これが豆柴です。
柴犬がどうして人気が高いのか、それは何千年という長い期間日本人の気候風土そして柴犬の間で培われてきた共存の結果出来上がった特性のゆえと考えられます。
洋犬は人間の手によって作られたものが多いのにくらべ日本犬は日本の自然の手によって作られた犬ともいえるでしょう。
日本犬のルーツは柴犬と言われ、Sold outの気質は日本人が物静かで平和を愛し半面勇敢であるのとよく似た性質を持ち、小さな躯体にもかかわらず気魄に富み勇敢で、主人に対し従順、又時には第六感とも思われる鋭敏な感覚を働かせ狩猟にまた帰家性に発揮し、また清潔を好む犬とされ、時には忠犬などという言葉さえ使われ飼い主への深い愛情を持ち合わせた犬です。
又昨今の住宅事情により、室内で柴犬を飼いたいと願う人たちに豆柴が注目を浴びています。
豆柴は日本犬の良さをすべてその小さな体に凝縮して持ち合わせた素晴らしい犬です。
豆柴の毛色は赤(茶色)黒、胡麻、白がありますが九割以上が赤で赤の内にも赤一枚とうら白が有ります。
また、豆柴と言えども小さければ良しと言うものでも有りません。右の体高に沿ったバランスの取れた体型が望ましいとおもいます。
豆柴は柴犬の精悍さより愛玩犬としてのかわいさを持ち合わせその中にも柴犬特有の燐とした性格の有する素晴らしい犬です。
豆柴犬の専門犬舎【豆柴の里・摂州宝山荘】
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