小笠原流 煎茶道
小笠原流煎茶道は遠祖遠光が鎌倉幕府の初代将軍頼朝に仕えて、公達の誕生の儀式を行って以来礼法を今に伝えております。
足利時代の末期には伊勢家の掌っていた内向の礼法をも同時に包括してきました。三蓋菱定紋の由来は宗祖遠光が礼王の位を受け王の字を結んだものです。
江戸時代に入って形式主義、格式尊重と武士階級中心の封建社会の中で、儀式、式典の形式内容が確立されたため、小笠原流といえば、礼儀、作法の代表語のようになり、一切の他流の礼法を支配して今日におよんでいます。
茶道は礼式とともに発展してきたものですが、抹茶道は室町時代に一休禅師に師事していた村田珠光によって基礎が固められ、煎茶道の方は江戸時代の中期から末期にかけて、主に文人・墨客の間で非常に盛んになり、それに加えて多くの茶器や道具が中国から渡来してきたので、一般民衆の間に煎茶の愛好者が次第に増えてきました。
明治時代から大正時代にかけて茶道はますます民衆の中へと一般化していきましたが、茶道精神は次第に忘れられ、煎茶道は技巧化され、模倣に模倣を重ね、茶道は一部分の人々に独占されつつありましたが、「宗祖の茶に還れ」という声が高まり、現在の茶道へと発展しております。
今日伝わっているところの式作法は小笠原流作法を基礎として成り立った煎茶方式です。しかし現代の煎茶方式は、時代の流れとともにその時代に適応したものでなければならず、煎茶方式は小笠原流作法を基礎として、従来の伝統を守りながらも現代に相応した茶道として改善と工夫を加え、洗練されて出来上ったものです。このように小笠原流煎茶道は現代社会に最も適応した茶道であり、私たちの日常生活の中にまで深く浸透し、愛好される茶道として確立いたしました。

[概要] [Home]