数学は人類の偉大な文化であり、
すべての人のための学問です。
高校数学は、数学自身ばかりではなく、それ以外の多くの学問においても、高度な理論の入り口となる科目と言っていいと思います。
数学は、すべての人のための学問です。
物理学、化学、情報科学、天文学、生物学、建築学などの理系の人にとっては、もちろん、これから学ぶ学問に必要ですが、文系扱いとなっている経済学や心理学にも、数学を使う分野があります。哲学や論理学も、数学をテーマにして論じることがあります。
文系の人にとって数学などなくても困らない、と考える人もいます。
また、数学は考える訓練としてちょうどよい、と考える人もいます。
しかしそれだけのものと考えるには、数学が持っている内容は、あまりにも基本的で、豊富です。
数学は、数量化するとか、図形化するとか、認識において重要な意味を持つ学問だと思います。
そして、数学によって、視野が広がり、複雑な事柄を整理することができ、行動の可能性も多様化します。
特別の人だけがやればよい、という学問ではありません。
これは、先人たちが長い間をかけて作り上げてきたものです。
私たちは、数学の歴史的に積み上げてきたものを学ぶのです。
決して思考訓練だけのために、数学を学ぶのではありません。
受験で自信がない、必要ない、生活の役に立たない、などという理由で、安易に数学を放棄してしまう人を見ると、とても残念に思います。
「ゆとり教育」とともに、数学をはじめとする基礎学問を、学ぶための時間も内容も減少しました。
新しい改正で、時間は少しは増えましたが、まだまだ少ないです。
そして、子供の学力が落ちたということで、発展的内容を教えてもよい、ということになりました。
発展的内容とされている事柄の中には、とても基本的な内容も含まれています。
これがなぜ発展的なのかと、首を傾げたくなることが多いです。
「できる子」と「できない子」に分かれ、「できない子」はますますできなくなり、興味を持つ前に数学に接する機会が失われます。
学力の二極化ということが言われ始めました。
「できる子」がゆがんだ優越感を持ってしまうことを恐れます。
人が差別される価値観が蔓延することを恐れます。
才能のない人は、学ばなくてもよい、などと言う人が増えることを恐れます。
誰もが学ぶ自由を持ちたい、という心を持っていてほしいと願います。
数学を学ぶ喜びを、子どもから奪ってはならないと思います。
必要なのは、すべての子供への基礎学力と、求めたときに欲しい情報が手に入る環境だと思います。
決して「飛び級」とかエリート教育などではありません。
高校で学ぶ数学は、巨大な学問のほんの入り口にすぎません。
数学は人類の偉大な文化であり、すべての人のための学問です。
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