塾長プロフィール
山口夏樟といいます。
映画「ゴジラ」が初放映され、
プロ野球では「中日ドラゴンズ」が優勝した年1954年、
8月17日に、愛知県の、東海市になる前の「知多郡上野町」で、
私は生まれました。
現在は、東海市の荒尾町と名和町になっています。
その後、名古屋市に移転し、中学生活、高校生活を送りました。
小学校の算数は、
九九を覚えたことの他はほとんど記憶がないのですが、
中学生のとき、
「方程式」に非常に興味を持ちました。
方程式さえたてればどんな問題も解けると思いました。
その頃近所に、
とても数学の得意な1才年上の遊び友達がいました。
私が中2の時、
その彼が200ページくらいの数学の問題集をくれました。
「1週間で全部やってしまった」ので、
もう必要ないから、その問題集をくれるというのです。
開いてみると、全問にやり終えたチェックが付いていました。
私は唖然として、彼を見ていました。
その友人(先輩)は、
私より1才年上なので、中3になっていました。
高校受験を控えていたのです。
間もなく、私は引っ越してしまったので、
彼がその後どうなったのか、
解らずじまいになってしまいました。
転校した中学校は、
名古屋市立の公立ですが、
生徒数も少なくこじんまりとした
しかし雰囲気の良い中学校でした。
その頃、
私が数学に夢中になっているのを父が知って、
まだ中学生の私に、
「間違えて」高校数学の参考書を買ってきてくれました。
その参考書が非常にわかりやすい本で、
中学生の私に「微積分」が理解できたのです。
おかげで、
そのときからますます数学に取り憑かれてしまいました。
中学の数学がばかばかしいほど簡単に感じていました。
三平方の定理を習ったときには、「一般化した公式」を作りました。
つまり、直角三角形ではない一般の三角形で、
2辺の長さから残った1辺の長さを求める公式です。
そのとき「三角比」を知りました。
中学生の私は、「新しい公式」を作ったと思ったのですが、
「三角比」の後の方に私が作ったのと同じ公式が有って、
少しがっかりしたのを覚えています。
それが、「余弦定理」でした。
中学生の時は、英語と数学は得意でした。
特に英語の試験はすべて90点以上だったと記憶しています。
良い先生に恵まれていました。
とても感謝しています。
高校入試は正直に言うと、あまり興味がありませんでした。
数学を自由に勉強できる高校ならどこでもいい、
と思っていた非常に楽天的な生徒でした。
塾にも行っていませんでした。
それで担任の先生の勧めに従い、
100パーセント合格確実と言うことで、
難易度は中堅程度の愛知県立昭和高校に入学しました。
高校生になった私は、
受験そっちのけで自由に「数学」を楽しみました。
部活は、
高3の先輩ばかりで、
高2の部員がいないという状態の
『数学研究クラブ』に入部しました。
最初何人かいた新入部員もみんなやめて、
いつの間にか私1人になっていました。
高2の先輩がいないので、
高3の先輩が卒業すれば、
部員は私ただ1人という状態でした。
自動的に私が部長です。
そんな廃部寸前の『数学研究クラブ』にも、
新1年生の新入部員が3人入部して、
廃部は免れました。
顧問の先生もいろいろ力になってくれました。
学園祭に向けて、
「集合論」や「和算」などを調べたりして、
後輩たちも気のいい人たちで、
よく動いてくれました。
その後、部員が増えることはありませんでしたが、
とても楽しかった時期でした。
高2のとき、
英語の試験で初めて90点を割った87点を取った頃には、
英語よりも数学に没頭していました。
特に、「集合論」と「論理学」
さらに「数学基礎論」に興味を持ちました。
K.ゲーデルの「完全性定理」と「不完全性定理」を知ったのは、
高2の時でした。
どんどん「数学」の深みにはまっていきました。
高校数学が特に難しいと感じなかったことが、
何よりの救いだった気がします。
「数学」が好きであり続けることができました。
自分の興味の赴くままに、「数学」を楽しむことができました。
誰も強制をしませんでした。
この環境に、私はとても感謝しています。
私は「英才教育」は必要ないと思っています。
「自由に学ぶ環境」それさえあれば、
人は適性に従って能力を伸ばしていけるのです。
得意な人と苦手な人が一緒に勉強していて良いのです。
それは、人それぞれの「生きるテーマ」が異なるからです。
誰もが自分の得意な分野を持ち、
お互いに教え合いながら、
一緒に学んでいければそれが一番良いのです。
また、好きだけれど苦手だから諦める、と言う人も見てきましたが、
そんなことをする必要はないといつも思っています。
好きなことは続けたらいい。
得意な人がいつでも教えてくれるという人間関係があればいいのです。
私はそう思っています。
受験勉強は、高3になって本気で始めました。
名古屋大学の理学部数学科に志望校を決めました。
ここなら、本物の数学を学べる。
それが理由です。
実を言うと、
大学受験のための勉強と言えば、
早朝5時に放送していた
『大学受験ラジオ講座』
だけでした。
塾にも予備校にも行っていませんでした。
受験科目は、
数学、英語、国語、物理、化学、日本史
です。
英語は、
得意科目のはず?でしたが、
大学入試はそうもいきませんでした。
英文法には少しは自信があったのですが、
模試などで思うような点が取れなくなっていました。
数学に夢中になって、
英語に疎遠になっていたせいでした。
それでも得点源にしなくてはならない科目でした。
国語は、
名古屋大では、理系は、
現代文だけで受験できたので助かりました。
現代文はやってもしかたがないと言う人もいますが、
そうでもありません。
現代文の問題集もやった方がいいと思います。
数学に関しては、
当時は、数学 ・数学 B・数学 という構成でした。
内容は、多少の変動はありますが、
全体の分量としては現在とあまり変わりません。
4月5月の2ヶ月で、
数学 ・ B・ 3冊の受験参考書に目を通しました。
とにかく、どんな問題が大学受験で出題されるのかを把握しました。
これだけではもちろん実力は付きません。
あとは入試問題集を解くのと、『大学受験ラジオ講座』をやっていました。
しかし、大学入試では、
愛知教育大の特設数学課程は合格したものの、
第一志望の名古屋大学の理学部はダメでした。
合格した愛知教育大は気が進まず、浪人を決めました。
担任の先生からは、
「第一志望で愛知教育大を受けて不合格になった人のことを考えろ」
と言われましたが、
どうしても名古屋大学で本物の数学を学びたかったのです。
そして一浪して、
名古屋大学の理学部に合格しました。
このときはすべりどめなしで、受験したのはこの大学だけでした。
私の家は裕福とは言えなかったので、
大学生活は、
家庭教師、学習塾教師のアルバイトをしながら送りました。
大学院に進む余裕が無いまま卒業して、
愛知県一宮市、さらに岐阜県瑞穂市に移転し、
岐阜県大垣市で、高校数学担当の学習塾教師を続け、
約20年が過ぎました。
その学習塾が規模を縮小することが決まったとき、
独立して、自分の「数学教室」を立ち上げました。
それが山口数学教室です。
http://www.jin.ne.jp/yama-suu/
この「数学教室」も10年が過ぎました。
30年以上も高校数学教育に携わっていると、
高校数学の内容について、
たいていのことは解ります。
高校数学の指導要領も何度も変わりました。
しかし、見かけは変わっても
本質は何も変わりません。
私のストックしてきたスキルを、
アウトプットしたいとずっと考えてきました。

【講師紹介】
山口夏樟。 昭和29年、愛知県生まれ。
現在、岐阜県瑞穂市に在住。 名古屋大学理学部数学科卒。
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